徳井正樹の「小坂山日記」

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2011年 06月 21日

100日後の雄勝

宮城県雄勝。
女川の少し北、リアス式の海岸の一番奥に、いつか行きたかったその町がある。
室町の昔からこの土地を名を一躍高めたのは硯石。
黒く緻密で繊細なその特長は、近代明治には文机を飛び越え、
薄く加工され「雄勝天然スレート」として初代東京駅の屋根に葺かれた。
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その雄勝に、まさかこういう形で行くことになるとは、、、、。

社会を担う一員として、100日を迎える震災をこの目に焼き付けるため、
そして、住宅設計者として築2年になるいわきの建て主を見舞うため、
1200キロの道のりをトランクに自転車を積んで両目を大きく見開いて廻った。

様々なメディアが悲惨な光景を伝えているなかで、
その記者らが異口同音に話すのは「来てみなければ解らない」だが、
私も全く同じ台詞を噛みしめていた。
惨状と復興を伝える役目はメディアに担って頂くしかないが、
私個人の心情を固めるにも、まだまだ時間が掛かるだろう。
16年前の阪神で、地震4日後に現場入りした際に目にした惨状とは全く異質な
「なにも無くなってしまった光景」は、行動はもとより次の思考を生み出さない。
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写真は、高台の最奥部に一軒残った3階建ての住宅。
残念ながら3階床上まで到達したと思われる津波に襲われている。
敷地は海面から15mはあるから津波の高さは20mを越えていたことになる。
20mといえばおよそ7階建て。
水圧の高い地表を蹴り上げた底力のある水でなく、最も水圧に低い最上部の力でさえ、
人の力を遙かに超える事実を目のあたりにするとき、
私たちが判断すべき限界点を思い知らされる。


ただ信じられない幾つもの現状から、一つの確信をいただいた。
それは、「人が里を創る」という当たり前の事。
誰もいなくなった町や、港や、集落からは、何も産まれてこない。
人の体温を感じなければ、どんな風光明媚が備わっていても、人は魅力を感じない。
まずは地場産業を取り戻し、人をその場に呼び戻すことから復興は始まるだろう。
そこに欠かせないのが「家族の暮らし」という原動力と、
「力の湧く居場所」となる家が必要になる。
遠く離れた群馬の自分に何が出来、何を託されているのか?を問い、
その答えを背負って行くことが、51歳からの私の使命に加わる。

実は冒頭の「雄勝天然スレート」は、2007年より始まっている東京駅丸の内駅舎復元工事で、
1945年の空襲で焼け落ち簡易に修復した現在の屋根から創建当時の姿に戻す計画で、
100年ぶりにその雄姿を担うことが決まっていた。
来年六月完成の工程では、まさにこれから最後の屋根工事が始まるところに震災が襲った。
工場も機械も出荷前のスレートも全て流失の報告を受けた工事発注者のJRは、
海外からの代替材を考えていたところに、準備したスレートが奇跡的に
津波堆積物の下に残っている連絡が入る。
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私も加わったJR側への嘆願書の結果「雄勝天然スレート」は、
見事、震災復興の旗印として東京駅の屋根に蘇り、現在その工事が進んでいる。
http://www.kyodonews.jp/feature/news04/post-85.html


私たちは、一つ一つの出来事を起こしていくことから創めるしかない。
そしていつも、この震災が残したものを心の何処かにおいて置かねばならない。

徳井正樹
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by rijim | 2011-06-21 13:35


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