徳井正樹の「小坂山日記」

iezukuri2.exblog.jp
ブログトップ
2011年 03月 20日

あの瞬間

誰もが同じ思いだろう。
震災前日の3月10日は、何年も前のように感じる。

あの瞬間は大宮の現場に向かう時速200kmの新幹線車内。
15年以上の新幹線通勤で経験した事のない上下左右振動だ。
急制動が掛けられる、車体は乱気流に揉まれる軽飛行機のようだ。

「これは脱線する」が、「何とか転覆前に止まって欲しい」、、これが正直な気持ち。
もし転覆状態で突っ走れば、間違いなく車両全体が落下する。
そしておよそ40秒後。
地上約20mの高架橋の上で約1000人が乗った2階建12両編成が止まった。
運転手の落ち着いた判断力、車両設計の技術力、高架橋建設の耐震力のお陰で助かる。
列車が止まった瞬間は、日本エンジニアの本懐を見る思いだ。

最初だけ流れたアナウンスによると、ここは大宮駅手前8km。
東北と上越新幹線がY字型に交わる地点に、約10度右に傾斜して止まっている。
自由席は満席に近い中、3列シートの中央席の私。余震は断続的にやってくる。
地震後30本ほどで停電。
一部乗客の携帯ネットから断片的な情報が聞こえて来るが、
「宮城沖で地震が起きた」以外には何の情報も入らない。
f0133377_14301173.jpg

日が暮れ、真っ暗になった車内。誰もが「いつ出られるのか?」を知りたい。
その間も、慌ただしく車掌は前後に列車を移動するが、
誰一人声を荒げて呼び止める人はいない。ただ、来るべき指示をじっと待つのみだ。
とても1000人が乗っているとは信じられないほどの静寂さは崩れない。

夜10時過ぎ、やや興奮気味の車掌が懐中電灯を持って車両前方に立った。
「この車両は動きません。後尾車両から高架線路を約2km歩いて避難します。
 ただ、混乱を避けるため12号車の乗客から順次脱出するため、
 この5号車までにはかなりの時間が掛かると思われます。
 お気持ち解りますが、車掌が呼びに来るまで待機してください。」
この対応に反論はなく、皆真っ暗の中で更なる時間を待った。
f0133377_14302363.jpg

約一時間後の11時半過ぎ、漸く我々の脱出が始まる。
その間、後ろの車両に駆け込む人もなく、ただ整然と12号車に移動。
真っ暗の傾斜し狭い通路は思いの外歩きにくい。
無人化した後方車両は不気味な気配が漂うが、
ふと冷たい外気が感じ、まもなく最後尾車両に到着。
ここに待っていてくれたのが、大宮駅から徒歩3時間で救助に駆けつけてくれたJR保線区の方々。
ここからは普段、目にすることもなかった線路脇の細い作業道を進む。
数百メートルおきに投光器からの光が放たれ、それを目当てにひたすら歩く。
f0133377_1430298.jpg

漸く架橋から地上に向かう保線管理用の斜路に誘導され、
高架橋下の道路につくと、ここからは警察の誘導で近くの高校に避難となった。
校舎入り口には警察、学校関係者、JRの三者が
手際よく後方車両の乗客らを体育館などに誘導したらしく、我々は階段教室に通された。
ここでも地震報道は特になく、翌朝の大宮駅までの移動案内をJR職員から受ける。
非常時用の薄い毛布とおにぎり、水が配布され、皆床に雑魚寝で朝を待った。
f0133377_1430364.jpg

明るくなるのを待って、まずは歩いて現場へ。
何と当日が上棟作業のレッカー初日だったが、ビクともしない軸組がそこに在った。
f0133377_14503034.jpg

一生忘れることの出来ない上棟現場の大黒柱が、冬の朝空高く建ち上がっていた。

徳井正樹
[PR]

by rijim | 2011-03-20 20:04


<< 想像する力      伐りだし体験会3 >>