徳井正樹の「小坂山日記」

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2012年 02月 03日

寒波への備え 2

今朝の拙宅、高崎小坂山はマイナス6℃
フロントガラスはバリバリに凍っている。

前述の通り、その冷え込みにも立ち向かえるだけの薪を、
二年目の薪ストーブのため何とか確保したのだが、
正月頃から、どこかで煙が逆流している感じで、どうも燃えが良くない。
どうらや去年の煙突掃除で仕掛かりとなった煙突のトップが怪しいので、
意を決して地上高8mの屋根に登る事にした。
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屋根棟中央の人影が解るだろうか?
15年ぶりに登ってみると、その高さはスキー競技のジャンプ台を彷彿するほど。
恐る恐る棟瓦に馬乗りの形で横移動し、なんとか煙突トップに辿り着くと、
アラマ〜ビックリ!、、、、鳥除けの網には、
ねっとりとした”まるで磯海苔”の如し煤がこびり付いていた。

これでは変幻自在な煙とて、出て行く隙間が見つからないだろう。
トップ下の煙胴を外し、手持ちの工具で油染みた煤を払い、
ついでに直下に降る煙突内を上からブラシで掃除。
結局下におりて、室内の煙突とストーブ本体の全面清掃となった。
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おかげで燃えの良いこと良いこと。
きっと自分の血管もこんな感じかも?、と苦笑して終了となる。

徳井正樹
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# by rijim | 2012-02-03 08:54
2012年 01月 31日

寒波への備え1

10年ぶりの大寒波。
湯島officeの窓からは、もう十日も経つのに
隣の岩崎庭園にプール大の大きさで溶けずに残る雪が
都心の気温を伝えている。

そんな中、ちょっと懐暖かい話題を。

二年目を迎える我が家の薪ストーブ。
童話に習いキリギリスにならぬよう、蟻の如くの薪集めの結果、
直ぐに燃せる薪と、来年薪になる丸太合わせて約10tが手に入った。
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今年は、震災によるエネルギー危機を受け、
薪ストーブの受注が昨過秋から一気に高まっているそうだが、
問題は、やはり「薪の確保」。
今年も蟻のようにコツコツとを、、、続けねば。
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PS:facebook始めました。
   まだよく分かりませんが、こちらもコツコツと。
http://www.facebook.com/profile.php?id=100002607467366

徳井正樹
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# by rijim | 2012-01-31 16:59
2011年 06月 21日

100日後の雄勝

宮城県雄勝。
女川の少し北、リアス式の海岸の一番奥に、いつか行きたかったその町がある。
室町の昔からこの土地を名を一躍高めたのは硯石。
黒く緻密で繊細なその特長は、近代明治には文机を飛び越え、
薄く加工され「雄勝天然スレート」として初代東京駅の屋根に葺かれた。
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その雄勝に、まさかこういう形で行くことになるとは、、、、。

社会を担う一員として、100日を迎える震災をこの目に焼き付けるため、
そして、住宅設計者として築2年になるいわきの建て主を見舞うため、
1200キロの道のりをトランクに自転車を積んで両目を大きく見開いて廻った。

様々なメディアが悲惨な光景を伝えているなかで、
その記者らが異口同音に話すのは「来てみなければ解らない」だが、
私も全く同じ台詞を噛みしめていた。
惨状と復興を伝える役目はメディアに担って頂くしかないが、
私個人の心情を固めるにも、まだまだ時間が掛かるだろう。
16年前の阪神で、地震4日後に現場入りした際に目にした惨状とは全く異質な
「なにも無くなってしまった光景」は、行動はもとより次の思考を生み出さない。
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写真は、高台の最奥部に一軒残った3階建ての住宅。
残念ながら3階床上まで到達したと思われる津波に襲われている。
敷地は海面から15mはあるから津波の高さは20mを越えていたことになる。
20mといえばおよそ7階建て。
水圧の高い地表を蹴り上げた底力のある水でなく、最も水圧に低い最上部の力でさえ、
人の力を遙かに超える事実を目のあたりにするとき、
私たちが判断すべき限界点を思い知らされる。


ただ信じられない幾つもの現状から、一つの確信をいただいた。
それは、「人が里を創る」という当たり前の事。
誰もいなくなった町や、港や、集落からは、何も産まれてこない。
人の体温を感じなければ、どんな風光明媚が備わっていても、人は魅力を感じない。
まずは地場産業を取り戻し、人をその場に呼び戻すことから復興は始まるだろう。
そこに欠かせないのが「家族の暮らし」という原動力と、
「力の湧く居場所」となる家が必要になる。
遠く離れた群馬の自分に何が出来、何を託されているのか?を問い、
その答えを背負って行くことが、51歳からの私の使命に加わる。

実は冒頭の「雄勝天然スレート」は、2007年より始まっている東京駅丸の内駅舎復元工事で、
1945年の空襲で焼け落ち簡易に修復した現在の屋根から創建当時の姿に戻す計画で、
100年ぶりにその雄姿を担うことが決まっていた。
来年六月完成の工程では、まさにこれから最後の屋根工事が始まるところに震災が襲った。
工場も機械も出荷前のスレートも全て流失の報告を受けた工事発注者のJRは、
海外からの代替材を考えていたところに、準備したスレートが奇跡的に
津波堆積物の下に残っている連絡が入る。
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私も加わったJR側への嘆願書の結果「雄勝天然スレート」は、
見事、震災復興の旗印として東京駅の屋根に蘇り、現在その工事が進んでいる。
http://www.kyodonews.jp/feature/news04/post-85.html


私たちは、一つ一つの出来事を起こしていくことから創めるしかない。
そしていつも、この震災が残したものを心の何処かにおいて置かねばならない。

徳井正樹
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# by rijim | 2011-06-21 13:35
2011年 06月 03日

1年目の家 3便

この食堂の主役は「建て主お手製の食卓」だ。
写真では見て取れないのが残念だが、クルミ甲板のテーブルは、
世界的に有名な2脚のデザイナーチェアに全く引け目をを感じさせない「造り」である。
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旧宅に伺った折、まさか建主手製とは思わなかったが、後に
何と建て主は「大工志願」だったと聞いて、二度目のビックリ!
ほぼ同業界とすれば視られるところが違う。その後、こちらの緊張感は言うまでもない。
その話は当然現場にも伝わったから、今度は棟梁がやりにくい。(笑)
とは言え、棟梁の凄腕は遙かに高みを越えていく。
面、チリは使いは勿論のこと、今となっては漆喰裏の見えない仕事に、
建て主も脱帽状態であった。

引っ越し後の印象は、建主、設計屋も全く同じ。
「漸くこの食卓が居場所を見つけたね!」

徳井正樹
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# by rijim | 2011-06-03 12:50
2011年 05月 29日

1年目の家 2便

前便の”素っぴんライフ”を端的に現しているのが、この薪ストーブかもしれない。
建て主が見つけてきた一品はMORSOというデンマークからの一品だ。
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小柄に見えるがこれで重さ150kg。
玄関+居間+食堂+吹抜を通じての2階子供室から寝室まで、
30畳を越える広さをカバーできる(はず)だから、その実力には驚くばかり。

その素養を受け、床と背面壁をこれまでと手法と変えてみた。
床はコンクリート小叩き仕上げ。壁は杉型枠のコンクリート打ち放し。
とかく象徴的に仕掛けるその存在を、右の漆喰壁と合わせ、
敢えて静かなモノトーンで上げてみた。
コストダウンの一巻でもあったこの選択だが、出来上がってみるとなかなか良い。

4月末に引っ越したのだから、ストーブの有り難さを感じるには半年待たねばならないが、
きっと建て主はニヤニヤしながら「その時」を待つのに違いない。

徳井正樹
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# by rijim | 2011-05-29 06:32
2011年 05月 27日

一年目の家1

写真は、まだ正式には公開していない家。
竣工まだ一ヶ月。初々しさが写真から伝わるだろうか?
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ここのところ、数年たった建て主さんにお目に掛かることが多く、
その機会を見つけては、
1年目、3年目、5年目〜を迎えた「家」を楽しみにお邪魔している。

その中でもこの建て主さんにはビックリ!
まるで「僕ならこう住まうなぁ〜」と思うような暮らしぶりされていた。
決して物を出さずに、、といった表面的なことでなく、
" 素っぴんを楽しんでいただいている" のがビンビン伝わってくるのだ。

まだこれから外構工事があり、それが出来上がったら見学会を開きたいと思っているが、
それにしても、建て主の素直な暮らしぶりに設計者の心は和む、和む。

つづく

徳井正樹
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# by rijim | 2011-05-27 17:59
2011年 05月 08日

甘楽商店に14組

甘楽町のアーティスト作品を販売する「甘楽商店」。
余り公言してはいけないのだが、ここで毎年盛大なBBQパーティーが開かれる。
知る人は知っての通り、ここは新屋根開拓集団「屋根舞台」の小林保さんのご自宅だが、
このBBQ。はじめは多彩な小林さんの友人知人だけの宴席だったらしい。
しかし、前年繰り返すことでその豪快な楽しさが口コミで伝播し、
数年後には当のご本人でも誰が来ているのかが把握できないほどに成長!?
話題は、食道楽、釣り、旅、車、家、交流、犬、自転車、手作り、、と無限に広がり、
言語も、英語、仏語、中国語、韓国語、甘楽語と、それはそれは多彩の一言。
お昼頃から夜半まで、メンバーが入れ替わり立ち替わり、
外の炭焼き卓から居間の薪ストーブ前まで、5〜6箇所で話の輪が広がる。

と、ここまでは毎年の小林BBQなのだが、今年だけはその様相に異変が、、。
というのも、3月11日からまだ2ヶ月足らず、
自粛ではなくとも震災ブルーが世の中に横たわっているのは事実。
そこでBBQまで10日あまりと迫った頃、全員ではないのだが群馬県内を中心に
拙作のクライアント家族へ「甘楽へいかが!」のお誘いを掛けた。
すると、まさか、まさか、、。
なんと14組、40名あまりの建主ご家族が駆けつけてくれた!
それも、新タケノコのおにぎりなど手作り料理や、自慢の一品を持ち寄って。
中には、赤い上り看板を手に、
たこ焼きをその場で作るセットまで持ち込んでくれるクライアントまで!
本当にまさか、、一番ビックリしたのは間違いなく小林さんでなく私だ。
でも、こんな嬉しいイレギュラーは無い。
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楽しい席はむろん夜まで。10時間近い大宴会の幕の頃には記憶も浅く、、。
それにしても遠くは、いわき、東京から。数組のご家族は甘楽に宿を取ってのご参加となった。
「この恩返しは、いずれ必ず」と心に決め、
この大型連休、頭の中は甘楽一色で染まりました。

14組、38名のクライアントご家族のみなさま、本当にお疲れさまでした!
そしてまた、必ず楽しい話題でお目に掛かりましょう!!!

(写真はまだ7〜8組の頃、このあとはまるで映画のシーンのようでした)


徳井正樹
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# by rijim | 2011-05-08 08:07
2011年 05月 07日

3年目の春 3便

写真は「堀川堤の家」充実のダイニング回りだ。
3年目便りの最終便では、その全容をご紹介したい。
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先日訪ねた折、来客と一緒に通されたのがこのテーブル。
左手にご夫妻が座り、私は右奥に腰掛けた。
キッチン側には設計当初からリクエストにあった棚が合計5段。
私の直ぐ右脇のそれには絶妙なバランスで小物達が座っている。

複数の作家者の陶器。譜面台に掛けられた木彫の楽譜。
その時の気分に合わせるだろうCDとWaveBose.
雑多な形状の生活用品はアタで丁寧に編まれた籠に収まる。
その一つ一つが決して単なる飾り物でなく、会話を生み出す小道具でもあり、
それら全てが、お二人の暮らしに直結しているところに、
ご機嫌な食事タイムが浮かんでくる。

写真では小さくて見えにくいが、更に奥の棚には集めてきた鋳鉄の鍋。
右の木枠窓の奥には薪が潤沢に積まれ、左の階段にはさりげなく緑が、、、。

帰りがけ、客人がひとこと。
「階段の片隅に座るペア人形、、お二人そっくりに仲いいですね!」

お後がよろしいようで!!

PS:Tさん、貴重なお時間をありがとうございました。
   この冬は拙宅小坂山で炎を囲みませんか?
   特性ピザを道具ごと期待しています!(笑)

徳井正樹
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# by rijim | 2011-05-07 08:13
2011年 05月 03日

3年目の春 2便

堀川堤の家が完成したのは、2009年の4月。
建て主ご夫妻は確か竣工時に「いつ頃入れられるかな〜」と仰っていた薪ストーブ。
しかし結局はその冬に間に合うように、いや、やはり待ちきれなくなって?
半年後には実績のある鋳鉄製のストーブが設置された。
そして2シーズン、、、、10月後半から4月の肌寒い頃まで。
この家では一年の半分、このストーブに毎晩炎が入るらしい。

暖を穫るのは勿論だけれど、料理の熱源としても大活躍!
両脇に設置した「シェルフ(温め棚)」でシチューや煮物。それに加え、
普段は薪を焼くべる炉内に専用の炉具を使ってピザまで焼くそうだ。
その使い込んだ調理具からは、焼き上がったピザの食味以上に
手順プロセスがすでに前菜の味わいだろう。
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廻りに目をやれば、大きな黒い寸胴鍋のような代物。
「薪入れ」だとは直ぐに分かるが、 薪の太さ重さに合わせ大中小それぞれに、
必ず両手で持てる取っ手、ここがポイントだ。
自分も薪ストーブ二年生。バケツのようにぶら下げる片手持ちは安定感が悪く、
何度も足の甲に落としたことがある。「薪入れは両手持ち」サスガ!

帰りがけ、庭先に目をやれば、軽トラックが、、。
聞けば、薪運搬の必須戦力として本年度予算で装備とか!
羨ましいの一言に尽きます、ハイ!!

つづく

徳井正樹
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# by rijim | 2011-05-03 13:34
2011年 05月 02日

3年目の春

一昨日、機会があって引渡3年目を迎えた「堀川堤の家」を訪ねた。
建主夫妻の暮らしぶりが、この居間に通された瞬間ビンビンと伝わって来る。

目に飛び込んでくるのは、もやは柱や梁では無い。
むしろ、それらは舞台の大道具のようにただの背景でしかない。
主役は勿論建て主ご夫妻だけれど、豊かな暮らしを感じさせてくれるのは、
僅かなスペースや豊かなアイデアが活かされた小物やしつらえだ。
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庭から摘んできた「コデマリ」の一輪挿し。

壁に掛けられた細いワイヤーのオブジェ。

夕べも炎を入れたというストーブ用の薪入れ。

そして、毎晩夕ご飯が並ぶ桜のテーブル。


毎日の暮らしの匂いを伝えてくれる役者たち。
そのどれもが僅かずつ家族の心を柔らかくしてくれているに違いない。
竣工まで設計者の分身だった「堀川堤の家」は、確実にその立ち位置が建て主に入れ替わり、
大きく大きく育っている場に立ち会った一昨日。
図面を描いた者として、言葉にならない満ち足りた時間を過ごさせていただいた。

つづく

徳井正樹
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# by rijim | 2011-05-02 15:50
2011年 03月 28日

休み無く

あの日、3月11日は、埼玉県伊奈町現場の建前初日。
朝早く着いたレッカー車が前日までに運ばれた構造材の脇にアームを降ろし、
33 cm角に製材された樹齢100年余の栗の大黒が作業を待つ。

大黒柱を軸に始まった建て方は四方からの梁を十字に受け、
次第に範囲を広げて、午前中には1階柱の大半が建ち上がった。
昼飯もそこそこに午後の作業がスタート。
順調に進んだ軸組柱にほとんどの梁が掛け上がる。
まだ仮筋交いは入れる前だったが、「追掛大栓継ぎ」をはじめとする
構造金物に頼らない継ぎ手と仕口は固まっていた。
棟梁を含め、ちょうど梁上に上がっていた大工さんが降りて、
次の段階に取りかからんとするときに、14:46を迎えた。
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現場の誰もが”地鳴りがするほどの揺れ”だったと振り返る。
しかし、1トン近くある大黒柱は何重にも組み守られた梁と柱に支えられ、
小住宅の構造体は何の損傷も被ることはなかった。
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驚くのはその続きだ。
余震も気持ちの揺れもまだ続く中、レッカー作業は夕方まで続き、
棟梁の指示の下、震災当日にも関わらず予定していた作業は全て完了となる。
そして帰路。群馬までは70km。高速道は全面通行止め。
数台に分乗した現場全員は、停電と混乱と大渋滞の国道17号を
ひたすら北上し真夜中の帰宅。ほんの数時間休んだだけの翌日、
現場監督、レッカー含む建て方関係者全員は、朝一番で70km先の現場集合。
まだ余震も続く中、何もなかったように二日目の作業を続け、
予定通り日曜日に棟木が上がり、あの当日を含む二日間で無事現場が上棟した。
さらに3日目の月曜日も作業は続く。垂木+野地板が張り進められ
ご夫婦とも激務を縫う建て主の予定通りに、火曜日上棟祝いが配られた。
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建て主は勿論、現場の誰もが忘れられない上棟になるだろう。
言うまでもなく、
棟梁、現場監督、大工、レッカーの相互信頼と使命感に支えられた工程だ。
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今、我々に出来ること、我々が成すべき事の第一は、
それは取りも直さず、「預かった現場を前に進めること」。
あらためて、頼もしい仲間を再認識しながら
この時期不安に陥りがちな建て主と共に、
”休み無く作り続けることの大切さ”を今実感している。

徳井正樹
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# by rijim | 2011-03-28 17:51
2011年 03月 22日

想像する力

あの瞬間から10日が過ぎた。
被災された全てのご家族に哀悼の真を捧げ、、、
と、思いの骨格を固めようとしても、自分自身どれだけ惨状が頭に描けているか?
「現場百回」。先輩の言葉が頭を巡る。
映画監督の山田洋次氏も言っていたが、首都圏にいる私たちが出来ることは、
普段眠っている「想像する力」を今こそ被災地に向け立ち上げて、
頭の芯が痛くなるほど想像することで、自分の次の行動が沸いてくるはずだ。

その中で、被災の数万分の一ではあるが、
新幹線缶詰10時間と一夜の高校避難は、貴重な経験となった。
翌日夕刻帰宅後、初めて被害の全容を知り、様々な思いが脳裏を走る。
「今、自分がすべきことは何か?」の体が振動するほど考えた翌日。
早朝から「これまで25年で手掛けた現場を廻ろう」と
群馬と北埼玉の大半の実作を3日間で約40軒診て廻る。
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何年も会っていない設計屋が突然現れ、主要な構造体や瓦をチェック。
「家を検診しました。大丈夫です」と伝えると
『ありがとう、安心しました』の懐かしい声。
ガソリンが底を尽き、残る現場は、給油復旧後廻るつもりだが、
約20年ぶりの建物から先月引渡の現場まで、廻った全ての現場は一軒の被害も無かった。

「当たり前の事が越えられて初めて安心が手に入る」を実感し、かつ
「家は、個人の、家族の、当たり前の居場所」を担う仕事の責任を痛切に感じる。
設計屋一人では何も出来ない。そのために大切な事は、
工務店、現場監督、各専門職方を横に繋ぐ日頃からのネットワークであり、
その根底は立場を越えた人と人の信頼だ。

板ガラス、電柱、電線など、災害復旧に絡む建設資材は、
すでに在庫はおろか、メーカーからは納期すら回答はない。
それでも「我が家竣工の春」を待ちわびる建て主に向け、
まずは現場の設計者として、プロ達の知恵を束ねる要として働きたい。

徳井正樹
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# by rijim | 2011-03-22 16:12
2011年 03月 20日

あの瞬間

誰もが同じ思いだろう。
震災前日の3月10日は、何年も前のように感じる。

あの瞬間は大宮の現場に向かう時速200kmの新幹線車内。
15年以上の新幹線通勤で経験した事のない上下左右振動だ。
急制動が掛けられる、車体は乱気流に揉まれる軽飛行機のようだ。

「これは脱線する」が、「何とか転覆前に止まって欲しい」、、これが正直な気持ち。
もし転覆状態で突っ走れば、間違いなく車両全体が落下する。
そしておよそ40秒後。
地上約20mの高架橋の上で約1000人が乗った2階建12両編成が止まった。
運転手の落ち着いた判断力、車両設計の技術力、高架橋建設の耐震力のお陰で助かる。
列車が止まった瞬間は、日本エンジニアの本懐を見る思いだ。

最初だけ流れたアナウンスによると、ここは大宮駅手前8km。
東北と上越新幹線がY字型に交わる地点に、約10度右に傾斜して止まっている。
自由席は満席に近い中、3列シートの中央席の私。余震は断続的にやってくる。
地震後30本ほどで停電。
一部乗客の携帯ネットから断片的な情報が聞こえて来るが、
「宮城沖で地震が起きた」以外には何の情報も入らない。
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日が暮れ、真っ暗になった車内。誰もが「いつ出られるのか?」を知りたい。
その間も、慌ただしく車掌は前後に列車を移動するが、
誰一人声を荒げて呼び止める人はいない。ただ、来るべき指示をじっと待つのみだ。
とても1000人が乗っているとは信じられないほどの静寂さは崩れない。

夜10時過ぎ、やや興奮気味の車掌が懐中電灯を持って車両前方に立った。
「この車両は動きません。後尾車両から高架線路を約2km歩いて避難します。
 ただ、混乱を避けるため12号車の乗客から順次脱出するため、
 この5号車までにはかなりの時間が掛かると思われます。
 お気持ち解りますが、車掌が呼びに来るまで待機してください。」
この対応に反論はなく、皆真っ暗の中で更なる時間を待った。
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約一時間後の11時半過ぎ、漸く我々の脱出が始まる。
その間、後ろの車両に駆け込む人もなく、ただ整然と12号車に移動。
真っ暗の傾斜し狭い通路は思いの外歩きにくい。
無人化した後方車両は不気味な気配が漂うが、
ふと冷たい外気が感じ、まもなく最後尾車両に到着。
ここに待っていてくれたのが、大宮駅から徒歩3時間で救助に駆けつけてくれたJR保線区の方々。
ここからは普段、目にすることもなかった線路脇の細い作業道を進む。
数百メートルおきに投光器からの光が放たれ、それを目当てにひたすら歩く。
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漸く架橋から地上に向かう保線管理用の斜路に誘導され、
高架橋下の道路につくと、ここからは警察の誘導で近くの高校に避難となった。
校舎入り口には警察、学校関係者、JRの三者が
手際よく後方車両の乗客らを体育館などに誘導したらしく、我々は階段教室に通された。
ここでも地震報道は特になく、翌朝の大宮駅までの移動案内をJR職員から受ける。
非常時用の薄い毛布とおにぎり、水が配布され、皆床に雑魚寝で朝を待った。
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明るくなるのを待って、まずは歩いて現場へ。
何と当日が上棟作業のレッカー初日だったが、ビクともしない軸組がそこに在った。
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一生忘れることの出来ない上棟現場の大黒柱が、冬の朝空高く建ち上がっていた。

徳井正樹
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# by rijim | 2011-03-20 20:04
2011年 03月 10日

伐りだし体験会3

伐り出し体験授業の3時間目は、マイ大黒柱を求めての山歩きだ。

標高1000mの稜線から少しくだった広葉樹の森は、
北斜面ながら明るく斜面も緩いので歩きやすい。
16名それぞれが迷子にならぬ範囲で
「自分ならこの樹を!」と大黒柱選定の疑似体験を楽しむ。
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私が見つけたのは4本株立ちのメグスリノキ。樹齢は70年というところか。
4本がほぼ真っ直ぐに伸びたこの樹なら、
大黒柱を軸とし、四方に腕が伸びるような梁を兄弟樹で組み上げることが出来そうだ。

参加者にも同じく「自由に選んでみては、、」と誘いを掛けたが、
なかなか、一人森の奥に入って、とは行かなかった。
「それはそう、、、」だ。
セミナーや見学会など1〜2回の予習をしたところで、
たとえ疑似体験とはいえ「我が家の大黒柱を探す」には予備知識が足らない。
 やはり山に来るまでには、
   1:自分が建てたい家のイメージを固め、
   2:基本構想が固まった図面を持ち、
   3:コスト感覚も踏まえた納得の上でこそ、
 腹を決めて自分の一本に的が絞れるという物だろう。
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とは言え、今日は体験会。
「大黒柱選びには心構えが必要だ」と言う気概を感じてもらう事が今日の目的だ。
雪の森ならばこその静寂と緊張感に包まれながら、この日一本に絞れなくとも
参加者16名が、「それぞれの大黒柱」をイメージ出来たなら、
林業家を巻き込んだこの企画を立ち上げた意味は十分にあったと考えている。

次回は最終回、「樹齢100年の大物に挑む」を伝えたい。

徳井正樹
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# by rijim | 2011-03-10 14:56
2011年 03月 03日

伐りだし体験会2

2/27に行った「大黒柱伐りだし体験会」の2便。

最初の伐採樹木には「アクダラ」が決まった。
建築関係では「栓(センノキ)」と呼び、造園業者の間では「ハリギリ」の名で通る。
色は白く、ホワイトアッシュに似るが、板目面の光沢と年輪が美しく、
製材後の肌目は楢やシオジほど詰んではいないが、甲板などには定評がある。
幹の直径はおよそ60cm。これだけあると広幅のカウンター板などその用途は広い。
今回の利用先もテレビ台や子供室のデスク、階段の段板などを想定している。
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写真奥の人影からして、その太さが解ってもらえるだろう。
樹高は3階建ての屋根を越すだろう、15mはある。
枝を含んだ推定重量は3〜4トン。
一番根に近い本玉からは広幅の上框が取れそう。2番玉はやはり階段板か?
勿論その上の幹や枝からも手摺や窓台やドア枠などなど、、、
とにかく無駄なく使い切るのが鉄則だ。

最初の一刃が入る。皆の視線はその一点に集中。
チェーンソーのエンジン音が山に響く。
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良く研がれたチェーンソーの刃が見る間に幹の内蔵深く達していく。
最初は伐り倒す方向を見定め、幹に楔形の切り口を開け、
次に別の角度からそれを目がけ刃を入れる。
山を守って半世紀の黒田さんは、
樹の重心が徐々に倒れる方向に移って行くのを確かめながら、
すかさず自分の身をその逆へ移動。
とても70歳を越えたとは思えぬ身の軽さだ。

巨体が静かに揺れはじめ、やがてミシミシと軋む声。
静寂な山に緊張感を走り、全員が「ウオーっ!」。
そして数秒後、樹齢105年の「栓」は、3mほど飛びながら倒れていった。
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そのシーンはまるでスローモーションの短編映画を見ているよう。
山での百年の命から「一軒の家族を守る道具」である家に、
その使命が変わった瞬間だった。

つづく

徳井正樹
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# by rijim | 2011-03-03 16:12
2011年 03月 01日

伐り出し体験会

春本番を思わせた先週の日曜日、
マイ大黒柱プロジェクトのフィナーレとなる「大黒柱伐りだし体験会」を行った。

参加者は新聞記者を含め8組15名余。
一行は麓の集合場所から5台の車に分乗し、標高1000mの広葉樹林を目指す。
杉の人工樹林帯を抜け、2月の寒波で積もった雪がまだ残る私有地林道を
時速15km程で登ること一時間。漸く「今日の現場」に到着。
この試みの簡単な説明を済ませ、それぞれ脚下を固め、いざフィールドへ。
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当日は快晴。広葉樹だから森の中は陽光が差し込み、思ったほど寒くはない。
一時間目授業は、雪を踏みしめ歩きながらの樹種の解説。
今日の先生は、この森を見続けて55年を数える長老。だが、どう見ても15歳は若い。
記者からの質問にも、樹の名前から昔の用途と今の利用先、そして木としての性格など、
外形さえその違いを見いだせない参加者に対し、その説明はよどみがない。
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森を歩き、違った樹種の大木が見つかる度に繰り返される多彩な木の話しに
参加者は感心するやら、どれがどうだったか混乱するやらだが、
この貴重な体験を皆、少しでも自分の頭に刻もうとしていた。

二時間目は、いよいよ一本目の伐り出し本番。
いざ選ぼうとなると、林業家本人とて、その決断には緊張感が走る。
今回は人を集めての伐り出し体験会。とは言え、
見学のためだけに貴重な樹木を伐るわけにはいかない。
「さあ、何を伐るか!」
雪が残るとはいえすでに2月末。乾燥にも知恵を使わねばならない。
そこで、林業家ご本人の住宅の板材(造作材)を捕るための伐採となる。
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さまざまな樹種から選ばれたのは、私も初耳の名の「アクダラ」だという。
調べてみると「ハリギリ」の別名で、
実は建築でも古来より使われている名では「センノキ」であった。
「栓(セン)」ならば私も20年ほど前から住宅にも組み込んだ樹種。
明るい美しい板目が特徴で、造作材にはぴったりの選定だ。

つづく

徳井正樹
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# by rijim | 2011-03-01 17:56
2011年 02月 25日

トークショー

先週の日曜日、マイ大黒柱de家づくりの第2弾。
拙作の見学住宅でトークショーを開いた。
「建て主に自分の家づくりの本音、思いの丈を話してもらう」のがその目的だ。

住宅とギャラリーが溶け合った建物を、くまなく見学して頂いた後、
当日の企画責任者となった設計者が、前座として
”建て主が如何にして家づくりに参加したか!”
を振り返るスライド会を30分ほど行う。
その後、登壇したのは、
建て主、現場監督、瓦屋、工務店社長、そして設計者の私。
正直、本当に何の下打ち合わせは無く、
司会役の私が冒頭部分だけ考えた質問を各人に振り、
その意見、吐露された言葉を繋いでいこうと決めていた。
もちろんその誰もが、トークをショーにできるほど弁の立つ人物ではない。
壇上の面々にみなぎる緊張感。「何を話して良いやら」が顔に書いてある。
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しかし、結果として停滞するどころか、
1時間半の緊張時間はあっと言う間に終わった。
それも会場全体が、爽やかな空気感の中で。
建て主が息を切って話された「判断の大切さ」の気持ちを共有していた。
その一部でもここに綴ってみたいのだが、話しというのは、一期一会。
活字に置き換えた瞬間に別の体を成してしまう。

ただ、その場で築一年、築2年の建て主が、
ほぼ飛び入りで、一年間、2年間の拙作での暮らし心地と
時間が経ったからこそ見てきた「家づくりでの勘所」を語ってくれたことが、
会場を一つの空気にしてくれたことは間違いない。
2家族の発言は、参加者にとって是非とも聞きたいところで、
かく言う私にとっても大変貴重な意見であった。

さて、明後日は一連の構想の総仕上げ。
大黒柱プロジェクトの第三弾!「大黒柱伐りだし体験会」の当日だ。
今のところ天候はまずまず。

樹齢100余の広葉樹を、参加者の目の前で切り倒す。
見学者に混じって、20代の若い夫婦が我が家づくりのため、それに挑戦する。
ぜひとも一生物の一本に巡り会って欲しい。

徳井正樹
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# by rijim | 2011-02-25 16:12
2011年 02月 14日

ガチンコ対話

「人の価値は態度で決まる。」

政治学者で、日曜美術館の司会を務める姜尚中氏が、先日の新聞で書いていた。
内容は概ね想像できようが、それを大舞台で通すことは簡単ではない。
しかし、若い夫婦がそれを実行した。
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今週末に控えた拙作でのトークショー。
建主、棟梁、設計者。住み手、作り手、仕掛け人が、
それぞれの立場から一軒の家づくりを振り返る。
といえば、”それぞれを褒め合う出来レース”の様に思われるだろうが、差に在らず。
必ず、互いの本音を戦わせるガチンコ対話となるだろう。

というのもこの企画、今までも一般にも行われていそうだが、実は異例。
営業トークの掛け合い芝居ならどこでもあろうが、
立場異なる三者が本音を人前でぶつけ合うなど、事の大きさゆえ皆無に等しいだろう。
ではなぜ、このガチンコ対話が実現するのか?
その最大要因は「この建て主の強さ」だ。

とは云え、建て主が強引な手立てで事を成したのではない。
ビジネス上有効な交渉術を駆使した訳ではない。
若い夫婦が潤沢な資金を上手に分配できるはずもない。
彼らの姿はむしろその逆で、とても控えめで強い物腰とは縁遠かった。

しかし、結果として何が彼らに大きな夢を手に入れる活路となったのだろう、、、。
と振り返り、冒頭の言葉が再び浮かんだ。
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「自分の家づくりを、我が家のトークショーで締めくくる」
こんなカッコイイ事、そうそう出来るもんじゃない。
ではどうやってそのプロセスを手に入れるに至ったか?
一言で言えば、
「建て主にとって人生最大資金を投じる場に、設計依頼から竣工確認まで、
 全ての場面を本音でぶつかり通せたからだ」!
そう書いてみると、様々な出来事が思い起こされる、、、、。

この続きと、建て主の秘策が気になったら、是非今週の日曜日。
建て主の本音を直接聞いてほしい。
不足とあらば思いの丈を質問でぶつけ、
自分の家づくりの礎石を手にして!と願う。

徳井正樹
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# by rijim | 2011-02-14 14:51
2011年 01月 22日

竣工前夜

3年越しの住宅が竣工する。
現場気温は1℃。
その中、建具屋さんが木製網戸の最後の調整を続けている。

親子、孫、曾孫の四世代が一つ屋根の下に暮らす。
今では珍しくも羨ましい家族が住まう家を支えるのは、栗の大黒柱。
その勢いが外まで躍り出て、3本の栗の大柱が屋根を支え家人を迎える。
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考えてみれば、
親子と云ってもそれぞれ別の世界を持って実社会と接している。
家とは、多くの個人にとってみれば、
誕生から成人一歩手前で家を飛び出す20年弱の時間を、
家族に見守られながら鍛え育む助走路のようなものかもしれない。

ならばこそ、
揺るぎない安心感が、家の「柱」でなければならないと思う。

徳井正樹
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# by rijim | 2011-01-22 07:13
2011年 01月 19日

マイ大黒柱de家づくり5

前4回まで「大黒柱伐り出し体験会」の様子を伝えたが、
今日からはその続き。
つまり、実際に丸太がどう使われるのか!を実際の現場進行に合わせて発信しよう。
ただしこれは長丁場。そのあたりのこと、じっくりとお付き合い願いたい。
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写真は伐り出してきた丸太。さながら広葉樹の見本市のようだ。
左から、カツラ、キハダ、シオジ、ケヤキ、シオジ、ニレ?、サクラ、、、。
実はこれ以外にも、クリ、クルミなど20本の広葉樹を使い分けなければならない。
これらをその樹種と径、曲がりなどのポテンシャルを存分に活かしながら
一軒の住宅の適材適所に組み込んでいくわけだ。

これには、相当な知識量が必要であることは云うまでもない。
これまで、何度かこの手の場面に遭遇し、その度ごとに満足と失敗を重ねてきたが、
ここまで、豊富な樹種を使い分けるのは正直初めてである。

樹種の価値と癖。個体別の曲がり+捻りの読み。組み込む部位での役所、などなど。
とても直感に頼る事など出来ず、林業家、材木商、大工、木工作家など、
様々な時間軸と場面で木を扱う職人達の言葉を総合化させ、
その難解な方程式を解いていく作業となる。

しかし、これが楽しいのだ。

今日の業務は、ただただこれに終始。
それでも半分ぐらいしか踏ん切れずに終わった。

つづく、。

徳井正樹
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# by rijim | 2011-01-19 17:52
2011年 01月 10日

薪暮らし

新春三日続いたの気合いブログでしたが、
良い意味で力が抜け、漸く何気ない日常が始まりました。
そこで、二年目を迎えた薪ストーブ生活の顛末の続きと参りましょうか。

2009年、念願のストーブが点火してニコニコ顔の私に
最初に突きつけられた課題はやはり”薪の手配”でした。
炎生活に向け、少しはストックのあった薪も、
暖を囲むと、嬉しいもんですから直ぐに底を尽き、
急場のしのぎで掻き集めたのが「大工さんの木っ端」でした。
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これは設計屋の強みでしょう、、、、
樹種、寸法、形状も様々な木っ端は直ぐに揃いました。
ただ、焚き付けに持ってこいのタモ枠やナラなど広葉樹の床板に混じって
時に年輪の中のヤニが煙突にいたずらをする松や杉、ヒバなどの針葉樹もあり、
決して望ましいモノではありませんでした。

そんなことで、過日書き込んだエンジンチェーンソーを買い込み、
(何かはじめる時、直ぐに新しい世界の道具が欲しくなるのは男のサガでしょうか?)
山にシバカリにと出たわけです。
そして一年。乾燥を確かめる意味も含めて薪割りの斧を手に入れ、
その手応え一刃が下の写真。
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切り株がスパッと裂ける音は、なかなか気分の良いものです。
薪割りはストーブライフの最も楽しい瞬間の一つですから、
乾いた株をどんどん割ってしまいます。、、、これが大変。
ただ、割った薪には乾燥状態が保たれる環境を用意しなければなりません。
続きは次回に。

そろそろ明るくなってきました。
今朝は町内年始行事の華である「どんど焼き」。
7時半点火!、の準備にこれから行ってきます。

徳井正樹
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# by rijim | 2011-01-10 06:44
2011年 01月 03日

柱の力

「柱」を意識する家がほとんど消えた。

構造材であるから、生活そのものに柱は不要だ。
合理的に考えれば、できれば柱など無く、
全てが移動、解放できる壁や窓で構成できる家が良いのかもしれない。
事実、それに近い住宅はたくさん出来ている。
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写真は若い家族が暮らす家。
大黒柱が食堂の脇で、この暮らしを支えている。
普通に考えれば邪魔な位置に違いない。
ちょっと無理すれば、無くすことも不可能ではない。
しかしこの柱こそ、この位置に必要な存在だと私は考える。

理由はたくさん在るが、一つあげるとすれば、
「象徴性」だろう。ただ、建物のそれではない。
この家族の世界で一つの居場所を特定し、
「やっぱり家が一番良いね」と安堵する心のシンボルでありたい。

”設計屋がそこまで出娑張るのはいかがなものか”
とも思われるかもしれないが、基本設計がまとまるまでの数ヶ月間、
その家族の新しい暮らしに何が必要かを建主とトコトン話し合い、
見いだした結論から生まれたこのプランを、
建て主は一発で承認してくれた。

そして今月、高崎から270km離れた福島県いわき市に一年点検で伺う。
さて、小さなお子さんがこの家を使い込んでいるか?
楽しみな時間を味わって来よう。

徳井正樹
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# by rijim | 2011-01-03 08:40
2011年 01月 02日

継ぐ家

「家を継ぐ」伴走者を務めた。
築90年の古民家。筑波山の麓、大きな農家の大改修だ。

1世紀余を生きた家は、大きな手術がされていることが多い。
理由は概して水回りの改修。
確かに電気と水道とガスが無かった時代だから、
特に、水と火に関わる暮らしぶりは、まさに様変わりだ。
その中で、大抵の住宅はキッチンと風呂を刷新して若世代に何とか納得させ、
家としての余命を待つことになる。
しかし、その家が残るか残らないかは、生活部品の優劣ではない。
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携わった「つくばの家」は、最低限の水回り改修は施したものの、
”家の求める安心感”を始めとした、暮らしの基本は変えていなかった。
ここに今回、設計者としての醍醐味と、建て主としての再満足が隠されていた。

家の間取りと構造は、その時代が要求する。
大正末期に建てられたこの家に託された使命は、
倹しい暮らしぶりと、ハレとケにそぐう平面構成。
つまり、家の主役は家族ではなく、地域の社会秩序と云ったところだろう。

それを今回、一気に「生活者主役」の家に大変身させる。
これは、9回2アウトからの大逆転に等しい。
ただ、ここからが肝心。
「そこにどんな主役が座るのか」を見定めるのが私の仕事だ。
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答えは「南に向けた対話型台所」。
家を活気づかせる舞台が裏から表に変わり、
柳田国男が云う「ケ」が主役を司る家に変身したわけだ。

この民家改修という仕事は、設計も作り手も概して利には合わない。
ただ、百年前の技が蘇り、現代の我々と会話する現場に醍醐味は深い。
毎回では大変だが、時にタフな仕事は Next へのヒントを感じるなぁ〜

徳井正樹
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# by rijim | 2011-01-02 07:09
2011年 01月 01日

年頭あいさつ

あけまして、おめでとうございます。
山陰では記録的な大雪ですが、群馬高崎は穏やかな元旦を迎えています。

家を建てる。
一世一代の仕事ながら、一昔前までは向かう気概はシンプルでした。
家族皆がその大事業一点に集中し、長老や親戚筋までもが、その様子を見守りました。

そして四半世紀。
家づくりは産業化し、素人が一本橋を渡る危うさを狙うがごとく、
住宅建設は営利追求の格好の対象となりました。
ひょっとしたら、多彩なスタイルが用意された結婚式選びのように、
長老親戚は勿論、親の意見すら入る余地無く。
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私の仕事の第一は、複雑に絡んだその道筋の案内役。
テクノロジーやデザインの前に、建主家族の思い、意志、目標を共有し、
我が家竣工というゴールに向かって、信頼できる地図を用意することから始まります。

今年は、その道筋に「大黒柱」というキーワードを据えました。
家づくりをシンプルに戻し、大黒柱を一緒に探すところからはじめます。

その第一弾は、1/22(土曜日)甘楽商店「家づくり教室」。
群馬の瓦屋根の見本会場で、その筋には甘楽町の迎賓館と噂の邸宅でのセミナーです。
http://kanra.exblog.jp/

今年も群馬をフィールドに、高い目標を掲げて進みたいと思います。

徳井正樹
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# by rijim | 2011-01-01 07:42
2010年 12月 28日

マイ大黒柱de家づくり4

我が家の大黒柱を自分で射止める、の締めくくり便。

写真は伐り倒された樹齢70年の栗。
直径は60cm。生木の総重量はおよそ2トンぐらいだろう。
それが谷側に倒れながら、最後は飛んでいく。
その距離およそ5m。一度限りの瞬間をぶれないようカメラに捉えようと、
斜面に寝転び身を預け、右半身全体でその振動を受け止める。
その迫力は社会生活では出くわすことのない凄まじいものだ。
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杉の伐採時は、参加者から直ぐに歓声が上がったが、
この栗では、倒れゆくシーンから情景はスローモーションに変わり、
周りの木に絡むバリバリという音の後、ドッ、ドーン、ン、ン、ン。
しばしの沈黙が流れ、背後からゆっくりと拍手が聞こえてきた。
そこに立ち会った大人以上に、
幼い子供達には大きな記憶として残るに違いない。

一行には、その後も様々に深い時間が用意されていた。
が、それは参加してのお楽しみとしようか。

最後は山を下り、2週間前に麓の置き場に搬出されていた広葉樹の見学だ。
皆一様に驚いたのは、立ったままの木と、寝かされた木の寸法の誤算。
立木に比べ、横たわった材木はとても大きく感じる。
カツラ、クリ、ケヤキ、クルミ、シオジ、キハダ、などなど。
これだけ多彩な樹種が揃う山は、山林群馬でもそうはあるまい。
樹齢60〜100年余。長いものは7〜8m。
しかも真っ直ぐに成長した広葉樹は特に貴重だ。
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この道60年の黒田さんから、一本一本その素性や用途などが解説されるが、
参加者は全員素人。一番聞きたいのはその価値に見合った金額となる。
ここでそれを記すと大きな誤解を招きかねないが、
八百屋の一声調に申せば、下の写真に写るこの場での材木価格は、
大黒柱1本、どれも10万円までは届かないはずだ。
さて、これをどう捉えるかは十人十色。
私には、この材木が「我が家づくりの動輪」に見えてくる。

そこで、「山林と街人を繋ぐ」この試みをもう一度行うことにする。
時期は2011年2月の後半。
詳しくは近々に本サイトにアップするつもりだ。
一軒でも多くの家族が、豊かなプロセスを通じて
借金の返し替えのある「我が家づくり物語」を体現してもらいたい。

徳井正樹
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# by rijim | 2010-12-28 11:29